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夏の暑い昼下がり
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私の父がまだ子供だった時分の話ですので、今から60年以上昔のことになります。 当時、長崎県S市に住んでいた父は、家族に頼まれて回覧板をお隣に出しに行きました。 季節は夏、暑い昼下がりで、家の中から外に出るとぼうっと頭がかすんだほどだったそうです。 通りに出ると、ふいに背後から声をかけられました。 「おい、○○」 名前を呼ばれた父が振り向くと、少し離れたところに同級生のA君が立っていました。 父はそのA君とはそれほど親しくもなく、ほとんど話をしたこともなかったので、 何の用かと不審に思いながらも、 「なんだAか。どうしたんだ?」 と訊ねると、 「ちょっと俺と一緒に来てくれないか」 と答えるのです。 「今、回覧板を隣に出しに行くところだから、ちょっと待っててよ」 「そんなのあとでいいから、早く来いよ」 「そうはいかないよ。すぐに済むから」 などどと言いながら、父はA君の姿を見やりました。 父の家の前の通りは長い坂道になっていて、A君は坂道の上手側に立っていました。 そのため、何となくA君を見上げるような姿勢になってしまったそうですが、 そのA君を見ると、ランニングシャツを着て、白い半ズボンに高下駄という格好だったそうです。 A君はしきりに父を誘いましたが、そのわりには父のそばに来ようとせず、 少し離れたところに立っているばかりでした。 父は 「じゃ、急いでお隣に出してくるから!」 と返事をして、 ソッコーでお隣の玄関先に回覧板を回し、また通りに戻ってきたところ、 さっきまでいたはずのA君がどこにも見えません。 前にも書いたとおり、通りは長い坂道になっていますので、 あきらめて行ってしまったとしても、その姿は見えるはずなのに。 首をひねりながら家に戻ると、父の両親が話をしていました。 「かわいそうに。それじゃ、まだいっぺんも意識が戻らないんだね」 「○○病院に入院したらしいけど、多分もう助からないだろうねえ」 何の話かと聞くと、A君が2日ほど前に車にはねられて頭を打ち、 ずっと入院中らしいことを知らされました。 つい今しがた知り合いの人から電話があったとのことで、 今のように連絡網もない時代、夏休み中で学校もなかったために、 父もようやくこの日初めて知るところになりました。 結局、それから3日ほどしてA君は亡くなったそうです。 父が見たA君は、父をどこに連れていこうとしていたのでしょうか? さほど仲がよくなかったというのに、なぜ父に声をかけたのでしょうか? そんなことを考えると、なんとなく薄気味の悪さを感じます。 さて、この話には後日談があります。 A君の家族は、そのころ父の家から15分ほど離れたところに住んでいたそうですが、 A君の葬儀のあとほどなくして、あたらしく中古住宅を買って引っ越していきました。 それまでは長屋みたいな狭い家に住んでいたそうですが、 あたらしい家は広くりっぱなものだったそうです。 父のお父さん(私の祖父)が一度、菓子折持参で挨拶に行ったところ、 S駅のそばの高台の一等地にあり、見晴らしもよくとてもいい家だったらしいです。 ところが、その家に越してから、何故かA君一家は次々と葬式を出すことになりました。 A君はすでに亡くなってしまっているわけですが、 A君の3歳違いの弟は、遊んでいる最中、家のへいの上から落ちて頭を打って亡くなりました。 A君のお母さんは精神的な病にかかり、台所のガス台で自分の頭部を燃やして自害しました。 A君のお兄さんは(何の病気か不明ですが)重い病気にかかり、闘病の末に亡くなりました。 ただひとり、A君のお父さんだけは何事もありませんでしたが、 父の近所の人たちは、 「あの家に越したから、こんなことになったんだ」 「あの家にいる限りは、多分おやじさんも死ぬだろう」 などと噂していました。 その後、A君のお父さんはとうとう家を捨ててしまい、以来行方知れずだそうです。 何年か経ってから、父が祖父と一緒に見に行ってみると、 草ぼうぼうに荒れ果てた廃屋が、一軒ぽつんと残っているだけだったといいます。 父はもう70歳を超えていますが、 「今でも夏が来るたび、あのときのA君の声や履いていた高下駄を、何故か思い出してしまうんだよなぁ」 と言って静かに笑います。 生真面目で冗談ひとつ言わないような父ですが、 この話はよほど印象的だったのか、よく繰り返し私に話して聞かせてくれました。
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