和歌山の補陀洛山寺へ行きました。
かつてはこの寺の眼前に海は迫り、
補陀洛往生しようとする宗教儀礼が盛んだったそうです。
開祖はインドから漂流した裸形上人。
さて、補陀洛渡海者はかなり過酷で、
僅かな食料を積んで、
出られない様に船に板を釘付けし、
生きたまま往生する。
中には無理やり入水させられた住職もいたと、
由緒書きにあります。
その後、生きたまま渡海する慣習は無くなり、
当寺の住職が死亡したら水葬となったとありました。
お寺には再現した船がありますが…
何だか…信仰とは、
海とは厳しいと思い至りました。
補足。
補陀洛(ふだらく)=ポータラカって言うのは、
観音様のしろしめす浄土です。
そこへ生きたまま辿り着けると言うのは、
ものすごく幸せな事だとする考え方があったから、
一時それがとても流行した時期があったみたい。
死んでから行ける浄土は、
阿弥陀浄土を始め幾つかあるけど、
生きて行けるのはココだけ!って訳で。
だから、住職さんも生きてる内に送り出されるし、
死んだ住職さんも未だ生きてるように装って送り出されるの。
船って言うけど、
蜜柑箱のおおきな物、
小さいコンテナって感じで、
櫓もないから漕いで逃げる事も出来ない。
潮流のまんま、
どんぶらこっこどんぶらこっこ…
信仰って、ある意味怖いよね。